バス停と魔のカーブ
私が幼い頃は我が家の下の国道は、まだ未舗装の道路だった。
今では廃線になってしまったが、我が家の裏にバス停があったので便利だった。
山に囲まれた田舎だったが、国鉄の駅まで歩いて10分くらいで行けたし、公共交通に関しては利便
性の土地だった。
その国道は昔から海と山とを繋ぐ重要な街道で、父が幼いころに住んでいた、バス停の前にあった古
民家は大きな家で内装も洒落ていたが、昔は宿を経営していて街道を往来する人や馬が利用していた
そうだ。
そういえば字名も馬場地だし、街道沿いには馬頭観音も祀られている。
当時は国道といってもバスが通るのがやっとの細い道だった。
今思えば、その道をバスやダンプやトラックが普通に走っていたのだから信じられない。
母の実家は我が家より山奥にあり、バスに乗って母と姉と3人で一緒に遊びに行った記憶がある。
バス停から我が家を通り越した場所に沢が流れていて橋が架かっていた。
橋といってもガードレールなどは無く、コンクリートのブロックが置いてある粗末な橋だった。
おまけにカーブが急で、車が沢に落ちたり、ダンプが曲がり切れなくて立ち往生したりする魔の
カーブだった。
ガードレールが出来てからも、車が擦れたあとが無数に刻まれていた。
昔の車のライトは暗かったせいか、夜に車が落ちることが多かったように思う。
婆ちゃんの部屋の窓からは、その橋が良く見えたので、特等席で事故現場を見る事ができた。
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