憲ちゃはアユ釣り・地蜂捕り名人

母の弟である憲ちゃと呼ばれていた叔父さんは、我が家より車で20分ほどかかる山奥にある母の実家で祖母と暮らしていた。

オジさんは連れ子の女性と結婚したが、酒豪で糖尿病になり離婚してしまった。

連れ子は、とても綺麗な女性だったと幼心に記憶している。

とにかく酒で人生を狂わせてしまったが、何をやらしても器用で、夏祭りに奉納する手筒花火をあげ

る姿はカッコよかった。

手筒花火とは孟宗竹に荒縄を巻いた筒に火薬を詰めて作った 花火である。 

花火の大筒を地面に置いて点火する。 

筒を脇に抱え燃え尽きるまで数十秒間、吹き上 げる巨大な火柱は揚げ手も、そして観衆をも魅 了す

る。 

三河地方全域で広く行われており、保存会など も数多く存在している。 

その昔、男性は手筒花火を経験して、三河男児の心意気として初めて成人の 仲間入りとみなされた。

憲ちゃは、何といってもアユ釣りと地蜂捕りの名人だった。

アユの釣り方は友釣りという方法で、アユは自分の泳ぐ領域内に侵入する相手に対して闘争を挑む、

いわばアユのなわばり意識の習性を利用する釣法である。

釣糸につけたおとりのアユを泳がせ,攻撃を仕掛けてくるアユを掛け針で釣り上げる。

おとりのアユは鼻環によって糸につけ,掛け針はそのアユの尾鰭 (おびれ) の下に糸を流して2~3個装

置するのだが、憲ちゃオリジナルの仕掛けがあって、数倍の釣果がある。

仕掛けを教えてもらっておけば、私もアユ釣り名人になれたかと思うと悔やまれる。

おかげで夏には憲ちゃがくれるアユを腹いっぱい食べることができた。

地蜂捕りは、前日に村内に何箇所か餌を仕掛けておいた場所に向かい、地蜂を発見する。 

餌に食いついている地蜂に、スチロールに化繊を結びつけた餌をくわえさせ、その蜂を放ち、人間が

巣穴に向かい猛ダッシュして追いかける。

巣穴を発見し、成虫を巣の中になるべく留め置いてから、煙硝で燻して、蜂の巣穴にそって土を掘

り、蜂の巣をそのまま掘り出す。

今では高級品になっている蜂の幼虫の甘露煮は、うちの食卓にいつも置いてあった。

スズキジムニーを乗り回していた憲ちゃはもういない。

Go with the flow ~流れのままに~

徒然なるままに書き綴る我が半世紀の伝記!

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